2018年05月23日

いずれ菖蒲か杜若



5月号
いずれ菖蒲か杜若

5月は花菖蒲が身頃の時期です。菖蒲園に足を運んだり、家に飾ったりして、目や心を癒している人もいるのではないでしょうか。
古くは歌川広重の浮世絵にも登場し、昔から日本人に愛されてきた花です。しかし、知られていないことが以外に多くあります。
花菖蒲はアヤメ科の多年草です。同じアヤメ科の「菖蒲」(あやめ)と呼称されていることが多い一方で、「菖蒲」(しょうぶ)と呼ばれることもあります。
漢字で書くと同じ字ですが、実は菖蒲湯に入れる菖蒲は、サトイモ科に属しているまったく別の植物です。
また、どちらも優れて甲乙つけがたく、選択に迷うことの例えとして使われる「いずれ菖蒲か杜若」という諺の杜若は、菖蒲に良く似ています。
日頃、何となく使われている言葉でも、知らなかったり、勘違いしているものがあるのではないでしょうか。
疑問に思ったことはうやむやにせず、図鑑やインターネットなどで調べることで、新たな世界が広がるかもしれません。キョロキョロ


今日の心がけ


疑問を思ったことは調べてみましょう

  


Posted by すまいるガーデン  at 09:01Comments(0)朝礼

2018年05月22日

利他に生きる



6月号

利他に生きる

「人」という文字は、人は人によって支えられている存在であることを示している。
事実、この世に一人で生きている人は一人もいない。換言すれば、人は皆、利他の心によって生かされているのである。利他の心は人間が生きていく上での必須条件といえる。
孔子は仁(思いやりの心)を説き、釈迦は慈悲を説き、キリストは愛を説いた。
ともすれば利己に染まりがちな心を是正すべく、人間存在の本質は利他にあることをその一語で端的に示したのだろう。

二宮尊徳は「二宮翁夜話」の中でこう言っている。

「人間の体の組み立てを見なさい。人の手はわが方に向いてわが為に便利にできているが、向こうに向けて推してやることもできるようになっている。鳥獣の手はこれに反して自分の方に掻くことしかできないようにできている。だから、人たる者は他の為に推し譲るという道があるのだ。それを自分の為に取ることばかりに努力をして、他の為に譲ることを忘れてしまった者は、人にして人にあらず、禽獣と同じである。恥ずかしいことではないか。ただ恥ずかしいだけではなくて、天理にはんすることであるから、ついには滅亡するだろう」

  


Posted by すまいるガーデン  at 08:54Comments(0)致知の学び