2018年03月08日

天我が材を生ずる必ず用あり



3月号
天我が材を生ずる必ず用あり

この言葉は唐代の詩人・李白の言葉である。
材には才能の意味もあるが、身体の意味もある。後者の意を採れば、天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある、と解釈できる。
せっかく人間としてこの世に生まれてきたのである。自らの使命に気づき、それを果たさないでは生まれてきた甲斐がない。
李白は己の覚醒をこの詩に託したのだろう。

明代の哲人・陳白沙にはこういう言葉がある。
「人七尺の身体を具うるも、此の心、此の理を除了すれば、便ち貴ぶべきなし。すべてこれ一包の膿血裏、一大塊の骨頭のみ・・・即ちこれを命けて禽獣というも可なり」

人間から心、道理を除いてしまうと、ひと包みの膿と血の袋、大きな骨の塊にしかすぎず、鳥や獣と変わらない。換言すれば、人は志や理想を持って初めて人となる、ということである。

志、夢、理想を持つことこそが用を知るための前提といえる。キョロキョロ

次に大事なのは、自分の仕事に精一杯打ち込むことだ、とは多くの先達が教えるところである。趣味では人間は磨かれない。人は仕事を通してしか自分を磨くことはできない。

そしてもう一つ大事なことは、「休まず、続ける」ことだろう。good

「学問の大禁忌は作輟にあり」と吉田松陰はいっている。
学問は修めていく上でもっともよくないのは、やったりやらなかったりすることだ、というのである。自明の理であろう。
  


Posted by すまいるガーデン  at 08:52Comments(0)致知の学び